学者と主教:ランセロット・アンドリユーズの記念日
毎年9月25日に、聖公会は16世紀のイギリス人の主教様ランセロット・アンドリユーズを記念します。私が司祭になった前、ロンドンのMerchant Taylors’という学校で教えたのですが、アンドリューズはその学校の有名な卒業者でした。子供のとき、ラテン語、ギリシャ語、そしてヘブライ語も勉強して、その学校に卒業してから、ケンブリッジ大学に入門しました。立派な学者だったので、ペンブルック・カレッジのマスター、つまり校長になりました。ジェームズ王1世のおかげで、1603年に主教に叙任されました。ジェームズ王は新しい聖書の翻訳を求めていまして、アンドリューズを翻訳委員会に招待しました。結果は、1611に出版した「King James Bible」という聖書でした。今でも、世界中の一番使用されている英訳聖書です。アンドリューズは王様の宮殿でよく説教しに誘えられました。その説教とお祈りの選集が出版されて、イギリスで有名になりあました。今でも人気があります。
アンドリューズの思想は東の正教会の教父に影響されて、聖餐式のことをすごく大事にしました。ジェームズ王の前で、あるクリスマス日に、このように説教しました:
「聖餐式の中のキリストと、飼い葉桶の中のキリストとそんなに変わらないです。飼い葉桶は聖体のパン、つまり外面の徴に似ています。誰かが外からそのパンを見れば、あまり価値がないと思いますが、内容は尊いものです。キリストが中に寝ていた飼い葉桶(かいばおけ)もその通り。ただ弱くて、貧しい(まずしい)ものですが、その中に、キリストが見つけられます。動物の飼い葉桶(かいばおけ)の中に天使のパンを見つけたと同じように、聖餐式のパンはキリストを代表しながら、キリスト自身も私たちに与えるものです。… キリストの体をいただいたところ私たちは、できるだけ天使の完全に近くて、できるだけ神に栄光を与えられるようになって、できるだけ全世界との平和を感じて、良い志を悟るようになります。」
アンドリューズ主教は必ず、自力に頼(たよ)らなくて、神に与えられた恩恵に信頼した人間でした。だから、主教様として信徒達に愛されて、学者として王様に尊敬されたアンドリューズは、今でも記念されています。世界中の色々な教会の中では、アンドリューズを表す像やステンドグラスでもが見られます。しかし、アンドリューズ主教様は自分自身で有名になることにあまり興味がありませんでした。毎晩、こいうふうに祈りました:
「今寝て、休ませて頂きますが、主よ、あなたのお陰意外に、無事で生きることができません。真理の主よ、主が私を救ったので、主のみ手に私の魂をお渡しいたします。」
私たちも、主のみ手に自分の信仰、才能、魂を渡せるようになるように祈ります。